チェンセン/タイ国境の町 |
情けない事に、前日の宴会の疲れが残っていた上に 「朝が早かった事」と「バスの質がよかった事(日本では普通のレベル)」が重なったために、 バスに乗り込むと1分くらいで眠りに落ちてしまい途中の記憶は全く有りません。 実は、バスでの長距離移動が非常に多いため、 乗り物に乗るとすぐに寝てしまう癖ができてしまっていたのです。 しかしながら、 どんな環境でも「熟睡できるように体が段々が変わってくる」と言う事には、本当に人間の体の神秘を感じました。 およそ2時間ぐらい経過した後だと思います。 バスの運転手に「ここだ!!起きろ!!」と突然起こされて。 バスを降りてみるも、いったい自分が何処にいて何処がラオスへの国境か全く分かりません。 とりあえず「船で渡る」と言う事は、事前に情報収集をしていたから知っていました。 そこで僕は「川はどこですか?」と、村人達に聞いて周り、ついに国境までたどり着きました。 |
向こう岸に見えているミャンマーです。 |
しかし!!!誰に聞いても、「ここからは、ラオスにいけない」と言われているように思いました。 およそ20人くらいと話したんでしょうか、もしかするとそれ以上かもしれません。 一人の英語が話せる人と出会いました。ラッキーな事にその人は学校で英語を教えている先生でした。 そして先生は、道端に停まっている軽トラックを指差しながら 「このトラックに乗れば国境まで行けるよ」 と、教えてくださいました。 僕が「本当にこのトラックが国境まで行くのか?」と尋ねる間も無く、 先生はトラックを叩きながら「”ココ”に掴まって行け」と言ってきました。 ボロボロの軽トラックには、14,5人がすでに乗車していていました。 軽トラックの荷台には屋根が取り付けられていて、屋根にも荷物を乗せられるように作ってありました。 そして、荷物を乗せた時に荷物が滑り落ちないように「滑り止めの枠」も取り付けられていました。 先生は、その「滑り止めの枠」を叩きながら笑顔で「ココだ!ココッ!!」と言って来るので、 僕は腹を括りそこに掴まりました。 満員のトラックの中にはお年寄りが小さな木の椅子に座っていました。 僕はお年寄りにも乗りやすい様にと作られた階段に、片足だけ乗せられるスペースと、 片手だけ掴まる事ができる「荷物の滑り止めの”ココ”」をスペースとして頂きました。 そしてトラックはゆっくりと動き始めました。 トラック内はお年寄りばかりで、英語は全く通じません。 僕は何処に向かっているのかも分からないまま、バスは何も無い細い道を進み続けました。 顔では平静を装っていた僕ですが、実際は内心不安でいっぱいでした。 |
上、左手は常に捕まれずに暇だったので写真を撮ってみました。行く道は全く手付かずの大自然でした。 |
上(下)、行く道で、もし迷子になったら、歩いてでも戻ればいいと、気合で看板を撮影していました。 必死になれば「人は頭が働くんだなぁ」と思いました。 でも文字は全く読めないので、自分が何処にいるのか分からずかなり不安でした。 |
突然のスコールに遭いました。もう何回スコールに打たれたか数えられません。 |
小さな集落に着くたびに1人また1人と降りていきました。 気が付くとトラックの荷台にはいつの間にか僕1人で、 運転手と荷台に座れるようになった(他に誰もないので)僕だけになりました。 合計で2時間弱は経ったでしょうか? 時間を見る余裕がなかったので正確には分からないですが、 不安も重なりとても長く感じました。 しばらくすると、小さなトラックはとても小さな集落で停車しました。 そして、運転手が僕の所にやって来て 「あっちに乗れ」と言っているのか、更に小さなトラックを指差しながら僕に言いました。 ここまで来たら後戻りはできません。僕は運転手の言うとおりに車を乗り換えました。 さらに小さくなったトラックに3人の男が乗り込んできて、僕をジロジロ見てきました。 「外国人はこんなトラック乗らないよな〜」と思いながら、 冷やかな目にも耐える事1時間、 また運転手が僕の所に来て、何やらジェスチャーされました。 しばらく見ていると、どうやら「ここで降りて指差す方向に歩け」と言っている様でした。 運転手は遠くに見える小さな村を指差していました。 仕方無くトラックを降りてお金を払うと、間髪いれず発車して行きました。 料金は「ぼられているのか、いないのか」全部で150バーツ、 そして一人残された僕が言われた方向に歩いて向かうには、頭の整理に10分くらいの時間が必要でした。 |