アジアの古いバス
アジアを旅していた時の事、とても酷く揺れる古いバスの中で一人の日本人男性と出会いました。
その日本人男性の名前は「Rさん」と言います。
Rさんは、アジアのある国に滞在してかれこれ10年近くになるようでした。
Rさんは日本人と日本語で話せる事がとても嬉しかったのでしょう。
アジアの知識の無い僕に本当にたくさんの事を教えてくださいました。
アジアの警察事情、貧富の悲しい現実、病気についてなど、
今思い出しただけでも僕の頭の中に強く焼きついている話ばかりです。
そんなRさんは「Rさん自身がなぜアジアに住み着いたのか?」僕に話して下さいました。
簡単に説明すると妻子がその国にいるからです。
Rさんは元々働いていた仕事を止めて、独学で宝石の勉強をしてアジアで個人ブローカーとして露天や発掘現場などを周り、良質の宝石を日本に輸出して販売していたそうです。
そんな生活が5年も続いた時、Rさんは日本の全ての財産を投げ打ってアジアのある国で生活する事を決めたそうです。それから気が付けばその国で妻子を持つようになり、人生は順風満帆に進んでいたそうです。
しかし、「外国人の旦那を持った」と言う優越感からか、妻の贅沢がとてもRさんの家計の台所事情を苦しめているようでした。
アジアの貧富の差が激しい所では、外国人の夫や妻を持つ事が一種のステータスのように思われています。だから、近所の人からすると外国人と結婚したRさんの奥さんは憧れの存在となるのです。それにしたがって、奥さんも近所の目を気にして少し自分を着飾るようになり贅沢が進んでしまうようでした。
贅沢と言っても日本にとっては普通の事です。例えばタイやカンボジアを代表する東南アジア諸国において、日用必需品の物価は驚くほど安いです。日本の5分の1程度でしょう。しかし、贅沢品と位置づけられる化粧品や子供の玩具などは、決して安くは無く、高いものなら日本の値段とそう変わらない物まであります。
彼らの一日の稼ぎが日本の10分の1だと言う事を考えると、例え100円の玩具であったとしても、現地の人たちにとっては1000円にも感じられます。化粧品の高さを知っている日本の女性の方なら、彼らが化粧品を購入する難しさが分かって頂けると思います。
そんなRさんは、もう5年ほど経済的余裕から日本に帰っていないそうです。5年前に帰ったのは、自分のお父さんが亡くなった時だそうです。Rさんは僕にとても素敵な笑顔でこう言いました。
「5年前に日本のスーパーで安い寿司を買って駐車場で食べた時、本当においしくて涙が止まらなかったんだよ」
今Rさんは年齢から耳に障害が出てきてしまい働いていません。そんなRさんの障害もすぐに日本の病院に行ったならば完治できたのかも知れません。
しかし、僕と二人で30円のパンを分け合いながら何時間も話すRさんを見ると、幸せで満ち溢れていました。
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